2 朝鮮最初の印象 2/2

日本人は小商人ばかり

日本の居留民は、数では圧倒的であるが、その町は小商人の寄合、ただ共食いのその日暮しに過ぎない。
日本人がこの境地を脱することができないのは、実は朝鮮人から300年来の怒りを買っているからで、 取引が中国人ほど容易に成立しないからである。
しかし、日本の朝鮮に対する国家勢力は中国の上にある。 たとえば、京城および諸開港場間に飛脚をたてて郵便事務を取り扱い、われわれ諸外国人もその恩恵にあずかっている。

 
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あるいは要所要所設置されている第一銀行支店は金融機関として内外人の信用を受け、私も仁川上陸後まずこの銀行のお世話になった。

日本綿糸布貿易の発展

驚くべきは日本綿糸布貿易の発展である。1887年(明治20年)に輸入された綿糸布のわずか3%が日本製であったが、 7年後の1894年にはすでにその40%を占めるようになっている。
明治26年に朝鮮に入港した汽船198隻中122隻は日本の汽船であった。実際、朝鮮には未だイギリス国旗をたてた船にはおなじみになっていない。
なんと、1894年まではイギリス商人は一人もいないありさまだったのである。

軍用米の買い出しに忙しい

私が仁川に着いたときは、ちょうど輸出米の出回る時期であった。朝鮮の防穀令がある期間中撤廃されて、 カマスは海岸や道路にうずたかく積み上げられ、米を積んだ馬の列は遠くまで続き、ジャンク船や小蒸気船が3月6日に 出帆する船に積み込むべく、忙しく準備を続けていた。
朝鮮人は知るべくもないが、日本人商人が朝鮮の田舎へ入り込んで米の買い出しに勤しんでいるのは、東洋の風雲急にして日本が早くも 軍用糧食の蒐集に努めているからに相違あるまい。

朝鮮部落は穢い

最初の印象として、中国人と日本人のことばかり書いているので、読者には朝鮮人の事はと注意されてしまうだろう。
いや、私もすっかり忘れていた。いや忘れていたのではない。仁川では朝鮮人の事を書くにおよばぬ。
朝鮮人部落は、日本人居留地の背後、京城街道に沿うように丘の麓に散在している。
それがまた穢いことだ。低い泥造りの家が不潔極まる道路を挟んでおり、しかもその道路には垢だらけの子供が群がり遊んでいる。
これらが成長すればまた仕事嫌いな不潔な父と母とになるのであろう。見渡したところ仁川の朝鮮人部落には非常に多数の人が群居してしゃべっているが、一人も仕事をしていない。
朝鮮人のことについては他の章で詳しく話しましょう。

最終更新日: 2013-11-17 21:28:45

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  第10 貿易
  第9 商業
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